看護の代表的な要素のひとつである「患者の思いに寄り添う」に苦戦中。
しかし、難しい。とにかく、難しい。「治らない病気」「一向に良くならない症状」であればある程、難易度が高くなっていく思いに寄り添った看護。
いったい、何を持って思いに寄り添えたという評価ができるんだ?
何をどうしたら、良いのかさっぱり分からないことだらけ。
評価もできない上に、正解もない、答えの見えない世界で路頭に迷うしかない私に闘病記が教えてくれたこと。
私が知りたいことは闘病記から学んだ
・脊髄損傷になったときの気持ちは?
・治療やリハビリを受けるときの気持ちは?
・希望はあるのか、あるとしたらどんな希望?
・どんな言葉で相手を傷つけてしまうか
・具体的に必要とされる看護はなんだろう
・手伝ってほしいこと
・手伝われることの多い生活について思うこと
闘病記の良いところ
闘病記は、病院、学校での座学では学べない病気と闘っている患者ことを多面から知る機会となります。
闘病記は、喜怒哀楽が含まれていて日々の生活のしづらさや申し訳なさ、痛み、苦しみ、人間としての思いを知ることができます。
そして、どんな状況の人からも希望を見出すことを学べると思います。
脊髄損傷の方と出会う機会がありました。
とっても明るい方だけに、私なんかがなんの役に立つ?と思い浅い関わりで過ぎていく日々でした。しかし、日常生活は全介助。こんなに明るい全介助の人・・初めてみた。
「一番苦しいのは幻肢痛」そう答えた患者さんです。何の薬を飲んでも効かない。どんなリラクゼーションでも効くのはその一瞬だけ。
先生に相談すると、「魂の本音じゃないの?」と一言。
「麻痺している部分に、あるはずのない痛みがある。」と話す患者さんの話をただ聞き続け、かける言葉を考えてはいるが、何も言えないまま終わってしまうことは良くあることです。
この患者さんの笑顔の奥に隠された、気持ちを汲み取れないままただ、悲しい現実がそこにあるのを見ているだけの私。
どうにかして、気持ちを知りたい!とりあえず、何か知りたい!魂の本音ってなんだ!
患者の気持ちに寄り添いたい。
しかし、関り方や困っていること、気持ちが全く分からない。
そこで闘病記の本を読めばなんとかなるかも!と思い学校の図書館へ行くことにしました。本棚とにらめっこして探したのがこの闘病記。
「でもやっぱり歩きたい」滝野沢直子
ある日、窓から落ちて首の骨を折り、頸髄損傷で寝たきりになり、全面介助の患者になった看護婦が、車椅子生活から自立に向けての闘いを綴った手記。
看護やリハビリテーションを根本から考えさせる迫力に満ちた記録です。
二十歳頃の女の子、看護師1年目、ノンフィクションのお話です。
ユーモアある文章で、分かりやすく気持ち伝えてくれていて、読み始めると夢中になってしまいすぐに読み終えました。
“他の患者がリハビリによって良くなっていくのを見て
「良かったね」と言う反面、心の中ではそう素直に思えない自分がいた。”
障害があってもなくても、たまに黒い心になってしまう私たち。
そんな心をありのままの気持ちを素直に言葉で表されていて、私としては共感できたし、もっと知りたいとも思いました。
脊椎の損傷部位はC6だったかな?
足はまったく動かない。その動かない足を見て最初に思ったことは
“ちゃんとそこには20年間一緒に歩んできた私の足があった”
“動かない、変な身体になっちゃったな”
なんとも身近に感じてしまうこの言葉、そうだよな。身体が動かないなんて最初から受容できるはずもない。
新しく(?)動かなくなった身体の不思議を感じるところから始まるんだね。
「足は動けません」と言われても、人として歩きたいよね。
でもやっぱり歩きたい―直子の車椅子奮戦記
そんなことをしみじみと、そして強く思わせてくれる一冊です。
明日、突然の事故や・外傷・病気で足が動かなくなってしまうかもしれない、よく考えたことなかったな。
足って大切なんだね。30年間も共に歩んできた足。
感謝ですね。
さいごに
私たち医療者は、希望と同時に絶望を与えている一因であることも忘れてはいけないことですね。
患者さんと出会うのは、ほぼ病気や障害を患ってから。
ですが、患者さんが歩んできた今までの人生について知ることで、患者さんも私もきっと救われることがあるのだと思います。