おはようございます。30代の看護学生あんこです!今日は朝から感慨してます。
看護師って人の死に目に合うことが多く、慣れる。って聞いていたけど。「死」に慣れるってどうゆうことだろう・・・受け持ちの患者さん、あるいは受け持ちだった患者さんの死はただ一つだよね。
とか・・・考えちゃう日です!
看護師は沢山みてきたかもしれないけど、今目の前にいる患者さんって世界でたった一人の人なんだよね。
悲しむあまり仕事に集中できなくて、ミスしてしまう。そんな風なっては困るけど、でも悲しいことに私は慣れたくない!
看護師は、冷静でいても冷淡になるな。
看護学生である私は受け持ち患者さんが亡くなるという経験をしました。⇒ガン末期患者さんから学んだこと
この時のグループメンバーとは、泣いたり笑ったりしたことを今でも思い出します。 それほど「死」ということが衝撃的だったんです。しかし看護学生の私たちから担当看護師は冷淡に見えました。
なんとも言えない脱力感を味わい、人の死に遭遇する場面が多くなるにつれ、悲しんでいることは短時間となっていき、他の作業を冷静にこなしていくのかと思うと人として怖くなりました。
看護師が辛い職業だと実感したのもこの時。
ただ、教員は違いました。話を真剣に聞いて目に涙を浮かべました。
教員は、最短でも10年の臨床経験がある人がなれます。そこで思ったのは、10年も働いた「死」に何度も遭遇したであろう教員でも泣くんだ。(驚)
だって、看護師は慣れるんだろう?
そうでないと、やってられないんじゃないの?
看護助手として働いていた頃に見た看護師は、涙一つ見せずに霊安室までお見送りしていた。ICUだったからそれは頻繁に起こった。私は看護師をみて「なんて冷たいのだろう」って思っていた。
今回の3年生に上がっての領域実習引率の教員はICU卒と聞いていた。だから、緊迫な雰囲気とか死とか・・・慣れてるだろうと思っていた。
今回受け持ちの患者さんは、予定手術ができなくて余命という話題が出てくる方でした。「人生とは」についてよく考えさせられました。
またまた私の話を聞いて涙ぐむ教員。
“きっと慣れてるだろうな”とか、“冷静に判断してくれるのかな”って・・・思っていたのは私だけ。あれ?という想定外の反応でした。
そして、この方に必要な援助を考え、ほぼ心理面での支えになることができず力不足だと痛感し勉強しようと思いました。受け持ち患者さんから学ぶことは多く、辛い状況にも関らず、ぎこちないバイタルサイン測定に笑顔で応じてくれるなど温かいものを学ぶのも学生のうちだと思いました。。。
ここから本題ですが、この前の実習のときに霊安室に亡くなられた患者さん・家族・看護師・医師でお見送りしているのを見ました。看護師は先頭きって誘導していました。
(霊安室の近くに着替えをするロッカーがあるんです)
私は、亡くなられた患者さんの前で業務をこなしてるんだな、そう思ったとき。
霊安室のドアが開いて、看護師が出てきました。
看護師が私の横を通り過ぎようとするとき、目の辺りがキラキラ輝いているのに気がつきました。目にいっぱい涙を浮かべていました。
今までの実習の中でも、私の看護助手のときでも看護師の涙を見たのは初めて。
想像ですが、家族の思いと同じ涙を看護師が流すことで家族の心のケアになったと思います。
人によって、家族の前で泣くな!とか、一切涙を見せるな!とかありますが、亡くなられた患者さん、家族と最後のときを過ごす看護師は、家族と涙を流すことが大事なことだと思いました。
だって、冷静すぎる看護師は冷淡に見える。そんな看護師に最後の時一緒に居てほしいとは思いません。
人としての感情を大切にできる看護師になりたいな。泣ける看護師になりたいなぁ。