「文系に進む?」「理系に進む?」
と高校進学に向けて悩む時代
私の頃とは時代が変わったなぁ。。
と思うのは私だけ?w
もくじ
不自然な助言
「やめた方がいいよ!」「それは大変だよ!」
年の離れた私の妹は進学校に通い、勉強がとてもハード。
その妹が【文系・理系】のどちらに進学するか悩んでいた頃。
それはそれは、将来を左右するほどとても大切なものだとか。
しかし、私は文系も理系にも行っていないため、よく分かりません。
よって妹の相談に乗るではなく、ほとんど聞き役。
妹の口から
「○○(友達の名前)のお姉さんが理系にいるんだけど、めっっっちゃ!!大変だからやめとけ!って言われた。」
と言い、理系に進みたい気持ちが見え隠れしながらも、更に悩む妹。
同じようなことを昔私も言われたなぁ。と思い返す・・・
やっぱり違和感をバリバリに感じるよ!!!
相手に制限をかける言葉
「やめた方がいいよ!」「それは大変だよ!」
というのは助言ではなく、相手の行動を軽減するような言葉のようにしか聞こえないの!
この言葉を助言として言ってくれる人は
本当に優しくて、相手のことを思っていることも良く分かる!!
確かにあなたは、やめた方が良かったかもしれない。
確かにあなたは、大変だったかもしれない。
でもそれは、あなたであって、妹自身ではないのです。
あなたのように、やめた方がいいのか、大変なのかは違うし
同じ結果になるとも限らないでしょ?
私の悩み
看護助手時代
「シングルマザーだけど看護学校へ行きたい。夢を追いたい。」
看護助手として勤めていた頃に周りに相談したときのこと
「看護学校に入るための勉強は大変だよ」
「それに、看護学校に入ってからも大変だよ」
更には「看護師は大変だよ!辛い仕事だよ!」
「だから、やめときなさい。大変よ」
そう助言する多くは、看護師ではない人達だった。
しかし、看護師や医師は「頑張ったらいいじゃない」と応援してくる人が多かった。
私はそのとき、まだやったことがなかったので
どちらの意見も素直に飲み込んだ。
そして、やっぱり「やりたい」気持ちが強く進んだ。
結果、現在看護師に向かって勉強中。
辛いこともあるけど、すごく楽しい!
新たな挑戦アドセンス
最近、アドセンスへ合格しました。
合格できたのは、周りで応援してくれている人のおかげ。
それは私のセンスのないブログを「以前のあなたよりできてるよ!」
「今の調子でいけば必ずうまくいく!」「頑張れ~~~」
と応援してくれる人がいたから。
正しい助言というのは
劣等感を抱かせるものではない。
じょ‐げん【助言】
[名](スル)助けになるような意見や言葉を、そばから言ってやること。また、その言葉。助語。じょごん。 引用/デジタル大辞泉
「何が」「どうで」「どうして」“私は大変だった。”
「何が」「どうで」「どうだったから」“私はやめたかった。”
という気持ちを、今までの経緯や出来事を含めて教えてくれたら
いいわけであって
「やめときな!!」は助言になっていない。
ところがどっこい
私の違和感を感じる箇所はここではない
それどころか、やったことのない人が
「大変・・大変・・。辛い・・苦しい」
「だから、やめときな!!」と言うのは
この人の正しい結果であり
素直な意見であり、優しさである。
だって本当にできなかったんだから。
ここに違和感
理系に進んだ妹の友達の姉ちゃん(遠いw)のような
「大変だからやめときな」という言葉に違和感を持つのは
自分はできているのに、「あなたはできない。」って言っているようなもの。
自分が相手より上だという視点からの言葉に感じる
それは言い換えれば
相手は自分よりも“劣っている”ということに。
相手を蔑む言葉はもはや、助ける言葉には聞こえません・・・。
さげす・む【蔑む/×貶む】
他人を、自分より能力・人格の劣るもの、価値の低いものとみなす。見下げる。見くだす。 引用/デジタル大辞泉
助言と忠告を混同しないで!
「アドバイス」という点では同じ意味。
しかし、助言は「相手を助けること」
忠告は「相手に制限をかけること」
本当に後悔している人の助言は貴重
「私がきつかったから。
だからあなたににも大変な思いをさせたくない」
という人は・・・
たとえ成功者だとしても
残念なことに、幸せではないのかもしれませんね。
さいごに
“だけど私はこうやってできているよ”
“こうするといい感じだよ”
それが正しい助言というもの
「大変だけどあなたなら大丈夫」
「やってみたら♪」
実は、こんな簡単な言葉が背中を押してくれる助言となるでしょう♪