もくじ
レントゲン博士
裕福家庭の一人息子として生まれ
裕福家庭の一人息子、心優しいレントゲン博士の生い立ち
1845年 レントゲンは、ドイツの裕福な家庭の一人息子として産まれました。
3才のとき一家揃ってオランダに移り住み、そこで初等教育を受けていました。
卒業が目の前の時期に、教師にいたずらをした友人をかばったため日本でいう中高一貫校に近い学校に進学することができなかった過去があります。
23歳の大学生のときがきっかけ
大学生のときに物理への関心が高まったといいます。
結局、その後17才からユトレヒト工業学校で2年間学んだ後、自然科学と工学を対象とした工科大学であるスイス連邦工科大学チューリッヒ校に進学しています。
長いこと学び、大学教授や研究所長を経て
50歳のときX線を発見
23歳のあの時から、約27年後の1895年。レントゲン博士はある日、実験中に暗闇で緑がかった黄色の“謎の光”に気づきました。
偶然にも蛍光紙に暗い線が現れたのをレントゲンは見逃さなかったのです。手に当てると、骨が写ってみえあたかも半透明になったように写りました。
記念すべきノーベル物理学賞を受賞
1901年、第一回目のノーベル物理学賞を受賞したのは、レントゲン博士。
骨折や骨疾患などに広く普及し、大きな功績を残しました。また弾丸など体内異物の診断にも役立ちました。
現在でも、肺がん、肺結核、肺炎などでは、異常が白い影として映り、気胸、肺気腫などは病気のあるところの空気が多くなるので、黒く映るなど、様々な情報を得ることができます。
ところで、Xって?
その謎の光を、未知である場合にとりあえずつけられる名前『X』としました。
レントゲンは「人体の見えないところが見えた」と大興奮し、すぐに論文を書いて、著名な物理学者に写真とともに添付したといいます。
今では、医療の分野だけでなく、空港でも大活躍。
手荷物検査では、X線でみることで危険物や凶器が入っているか、いないかがわかります。
そして、後方散乱X線検査装置とよばれる空港のボディチェック技術としても使用されています。この装置を使えば服を着たままで武器携帯などをチェックすることができます。
しかし、簡単に全裸に近い画像が得られるという問題があり、そのためアメリカ自由人権協会は、この装置の利用に反対している状況もあります。
そして、、また研究仲間から激しい怒りをかっていた事実があります。
当時、真空放電、陰極線などの研究がハイリン・ヘルツやルーナルトにより進められていました。レントゲンもこれらの現象に興味を持ち、レーナルトに依頼して確実に動作するレーナルト管を譲り受け、そのルーナルト管の構造によく似たクルックス管によりX線を発見しています。
X線の発見に関する論文でこれに対する謝辞がなかったため、レーナルトから激しい怒りをかったそうです。
科学は個人的な利益のものではないと主張
レントゲン本人は「レントゲン」と呼ぶのを好まず、常に「X線」と呼んでいたそう。
「わたし一人で発見したものではない」という想いと「広く普及してほしい」という願いがあったそうです。
その願いは叶いましたねo(^0^o*)
レントゲンは、科学は個人的な利益のものではないと主張し、その後世界への発展を望みました。
あえて特許を取らず、それによって科学が広まることを望み、ノーベル物理学賞の賞金を全て大学に寄付しています。
レントゲンが望むように宇宙で活躍
X線天文学やX線望遠鏡など宇宙での研究でも活躍中
こんなにもX線があらゆるところで使われているなんて素晴らしいと思って記事にしました。
利益目的ではなかったから、ここまで普及したと思います。レントゲン博士の功績を大事にしていきたいですね。
科学は利益ではない。