いつも笑っていて優しい看護師になりたい
負けそうな人に寄り添いたい
誰かの力になることが私の力の源なんだ
理想としてたはずの看護がだんだんと薄れていってます。
次第に不安ばかりが増す看護専門学校の3年生のシングルマザーあんこです。
「いったい、看護ってなんだろう・・・。」
そんなことを日々思いながら、看護学生として看護に迷っています
もくじ
実習でくらった大ダメージ
前回記事にしました。実習で主任から注意を受けた、その後痛いところを教員に言われ自信喪失中。
看護師としてでもあり、自分の性格や考え方についても悩み中。
実習の打ち上げでも、あまり楽しむこともできず。
友達との久しぶりのおしゃべりでも華を咲かすことができず、コミュ障炸裂。
私ってつまんない人
恋人はいない、しかもできないというか、「面倒くさい」という理由があって救いようがない
唯一子どもがいるものの「離婚理由は?」と聞かれても、たいしておもしろい事を言えるわけでもない
周りが笑ってるときに一緒に笑わないと空気読めてない!
と自分にプレッシャーを与えることによって恐縮していく自分がホント嫌。
就職は決まらないし、やりたい看護も見えてこない。
私ってつまんない人。
まさに負のサイクルに突入したので、ここから抜け出したい。
今こそ海外に飛んでいってやりたい。
実習で出会う看護師は私の全てだった
実習のたびに最終日に「私の看護について」のレポートを書きます。
それは、実習のたびに看護観が変わると言われているからなんです。
実習で出会う看護師から、良いところを盗んで自分のものにしていく。
看護学校に入学してから何度も書いた「看護観」ですが、一度だって同じことを思ったことはありません。
自分の看護について熱く語ってくれる看護師さん、冷たい言葉だけれど患者さんに対しての思いは人一倍強いことはその行動から伝わってくる。
家族の話を真剣に聞いて代弁する看護の役割、分からないことを分からないままにしないでほしいと学生に向き合ってくれる人たち。
私の立てた目標にブーブー文句は言うけれど、やっぱりためになると思った。
看護観で毎回違った思いがレポートに出てくるのは、自分の経験、悩やみ、嬉しいこと解決したいことがそのまま反映されていくからです。
中でも、実習は看護師と間近に接するので、看護師は「看護観」を揺るがす威力が大きい。
だからこそ、看護師の看護の雑さを目の当たりにすると、私は「看護師って?」「看護って?」「役割は?」「患者さんの助けになってるの?」
と戸惑いを隠せなくなります。
私の目指すべき道はどこ?
実習心構えはこれ
「実習で出会う看護師から、良いところを盗んで自分のものにしていく。」
「良いと思う所は、自分で判断すること。」
「看護師はそれぞれの行動に必ず根拠を持っている。」
看護観が揺れる出会い
医師にだけ優しい看護師
挨拶もしないし、目も合わさない看護師
顔は笑っているのに裏で文句を言う看護師
提案するとすぐに却下、根拠は?と突っ込み、最終的に答えは無し
ものすごい速さで車椅子操作する看護師
「そんな看護師イヤだ。」と思いますが、学生あるあるです!
それはさておき、そうゆう看護師の態度でも根拠を探すとやっぱり出てくるんです。
私のつまんない思考で搾り出した根拠はこれだ!!
医師にだけ優しい看護師
⇒医師とのコミュニケーションが良好であると、患者さんへの治療や予後についての詳しい説明など、それは最終的に患者様へ良い影響を与えることになるでしょう。優しくすることで悪い影響は無いでしょう、人当たりの良い人であると医師にモテモテになったり更なる未来への期待も膨らみ仕事にも精が出せるでしょう。
しかし、医師だけに優しいと同僚から後ろ指指されることもあるでしょうが、味方に医師がいるなら最強でしょう。ということで、医師には優しくすることが大切でしょう。
挨拶もしないし、目も合わさない看護師
⇒もしかすると薬剤の確認中だった。何かを調整している重要なときだった。
のかもしれません。学生としては、薬剤の確認、点滴交換、処方箋の受け取り、医師・他看護師との申し送り、患者さんのケア中。などを避けて声をかけるよう教育されいるので、そこを避けているつもりであっても、学生には忙しそうに見えていないだけであって、重要な仕事をしていたに違いありません。
あからさまに他看護師と笑いながらお喋りしているのを終わるのを待って話しかけたとしても・・・そうきっと重要な仕事を思いついたのかもしれません・・・。
顔は笑っているのに裏で文句を言う看護師
⇒コミュニケーション能力が高い。
人はどこかでイヤな感情は発散させなければなりません。とくに看護師はストレスの溜まる仕事と言われています。患者さんの前で、家族の前で文句を言うわけではなく同僚や他看護師に言うのなら、その方がいいのかもしれませんね。
提案するとすぐに却下もしくは「根拠は?」の嵐、そして最終的に答えは無し
⇒学生にとって考えるべき実習現場。自分なりの看護ケアややりたい看護を学ぶために考えることが必須。だけれど、提案したことをすぐに却下してはあふれ出るアイディアが引っ込んでいくのを感じます。
「根拠は?」とさんざん聞かれ、自分のなりの考えを言ったところで、うんともすんとも言わない看護師は一体なんでしょう?
自問自答で、かなり考えさせれらました。私に考える時間と場所を与えてくれる質問に感謝。
ものすごい速さで車椅子操作する看護師
⇒あそっか、尿が漏れそうなんだね・・・。
「ひねりだした根拠でどうにか納得する」を繰り返すのはもう嫌!
私が目指す看護はこんなんじゃない!(泣)
人から聞いたウワサ話だったら??・・まだいいじゃない。
それが新米看護師だったら?・・まぁまぁ許せる。
でも、それが病棟を仕切る師長看護師だったら??
それこそ、私は看護に嫌気が差してきます。
チーム医療といいながら
分裂しているのは看護師じゃない?
看護師VS看護師ってないです。見たことないです。
もちろん、新米看護師VS先輩看護師はあります。
でも主任・師長クラスの人に反発する人はいません。
それぞれに自分の看護観を持って、根拠を持って看護してるから・・。と皆がそう思うことで、「それっていけないんじゃないの?」そんなことを思っていても口に出さないです。先輩になればなるほど、それは大きくなっていく事実。
学生のうちにいっぱい怒られたほうがいいってこうゆうことだ。
看護社会は冷たいですね。だから私は嫌になってきた。